こんばんは、伺水(@moto8an_shisui)です。
今日は、ジェネレーションギャップかなぁと感じる記事を読んだので、その思考整理です。
ずばり『あなたは有名になりたいですか?』
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有名になりたい人が多くなった!?
ことの発端は、以下の記事を読んだことです。
blogos.com
そういう風潮があるとは想像していなかったので、読んだときは驚きました。私も一時、バンドで音楽活動をしていたことがあるので、その時には、その世界で有名になりたいと想っていたこともありますが。今は有名になりたい分野・ステージの数は、以前より相当多くあるような気がしますね。最近で分かりやすいものだと、YouTube(YouTuber)とかですか。
YouTubeを言うなら、息子たちがゲーム攻略の動画をよく観ています。その視線には、自分が若い頃にあった『ビジュアル系バンドがカッコいい』と同じ視線を感じるので、そういうものかな!?と想いますが、20代の人たちとなると、息子たちが見ているものとは大きく異なりそうです。
『有名』の定義
そもそも、有名ってどういう状態になったら言えるのでしょう。スマホの辞書アプリ(※)で、『有名』の意味を調べてみました。
【広くしられていること。名高いこと。また、そのさま。←→無名】
その分野で、自分のことを知っている人がたくさんいる、ということですね。ランナーだった頃に、私は県大会でそこそこのレベルでした。県大会の下のランクで、地区大会という規模の大会があります。そこでは、自分の名がそこそこ知られていたようです。私は背が低いので、『(背が)小さいのに速い奴がいるぞ』という知られ方だったようですが(笑)
しかし、県大会にいくと一転、そこでは有名ではありませんでした。次の関東大会に勝ち上がれる力がないと、県大会では有名にはなれないということでしょうか。そう考えると、兎にも角にも腕が立たないといけないわけですから、有名になるのは簡単なことではないと、容易に想像することができそうです。
有名になりたくはないかなぁ!?
お金持ちになりたいという希望・願望は、私が子供の頃に主としてありました。『あいつの家は3階建で(その当時は珍しい)、ファミコンとディスクシステムとセガも持ってる!』なんて話題をよくしていました(笑)お金持ちだと、買いたい物が好きなだけ買うことができるというイメージがありますから、ストレートでわかりやすいです。
しかし、有名になりたいというのは、どうもわからない。有名になることで得られるものが目的なのか、有名になれた瞬間に得られる何かなのか。記事中では、
有名であることこそ本当の「文化資本(個人的資産)」
と言っていますが、わかるようなわからないような、おっさんだから理解できないのかなぁ!?という気分です。仕事をやり取りしている人たちの範囲で、自分の名前が良い意味で知られないと、仕事がなくなってしまうということがあるので、そういう意味での『有名になりたい(ならないと)』は理解できるんですけどね。私も先の『個人的資産(もしくは信用!?)』をイメージしているつもりです。それならば、いわゆる『有名』までならなくても、十分ではないかなぁと想います。う~ん、やっぱり有名になりたいとは想わないですかね、私は(笑)
有名になって得るものと失うもの
いわゆる芸能人と括られてませんけど、どの分野であれ、有名になるということは、その一挙手一投足に嫌でも注目されると想ってしまいます。監視されているのとは違いますが、それと同等の窮屈さを感じてしまいそうです。
私は得られるものを考える時は、それによって失われるものをセットで意識してしまいますので、有名になりたいと希望している(若い)人たちが、その辺りどういうイメージを持っているのか気になりました。もちろん、失うものなんて考えてない人もいると想いますが、それはそれで良いですよね。単なるものの見方ですから。今度、所属しているちょっとしたクラブ活動の若い人たちに、『有名になりたい?』って聞いてみようと想います。いろいろわかっているつもりでも、若い人たちの視点や視線は、どんどんわからなくなってますね(笑)