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愚者の曲解

伺水の雑記。

『ベーシックインカム』が気になります!

こんばんは、伺水(@moto8an_shisui)です。
最近、断トツで気になっている『ベーシックインカム』について考えてみました。

── 目次 ───────

フィンランドでの導入試験が気になります!

ベーシックインカムについて検索をかけてみると、これに関するニュースがわんさか出てきます。フィンランドで2017年1月(ってまさに今じゃん!)から、導入試験が始まってます。以下の記事を読む限り、試験の期間2年間で、失業者を対象に支給してみて、様々な分野への影響や変化をまとめるのだそうです。

www.newsweekjapan.jp

www.afpbb.com

www.cnn.co.jp

私はこの手の内容は大の苦手であり、ニュースに書いてあること以外よくわかりません。ただ、世界各国が検討していると言う割には、導入試験はフィンランドだけなんだ、と想いました。スイスは国民投票が行われて、反対多数で否決されたそうです。もしかしたら、スイスも導入試験開始!だったかもしれなかったわけですね。それくらい、ベーシックインカムを導入することでの良し悪しの影響を、どの国もすごく慎重に見ている、ということでしょうか。

導入したら良くなるのか?というお決まりのテーマ

(※注)ここからは、私の妄想ワールドです(笑)

良くなるのかどうか、そんなこと誰にも分からない

ベーシックインカムのことだけではなくて、新しい試みというのは大抵そういうものだと想いません!?↑の記事にも書かれてますけど、試験の対象はごく一部の人たちです。試験は試験だし、これの結果がとても理想的であったとしても、国民全員を対象にして導入した時に、それと同じ結果になるとは限らないです。世界各国はフィンランドの試験結果に大注目でしょうけど、もし大成功!で終わったとしても、『じゃあ、我が国でも早速導入だー!』になるような気がしません。

試験する意味がないのでは!?

それなら試験することにも、それを見守ることにも、何の意味もなさそうです。でも、やっぱり試験をしている当事者だけには、ものすごく大きな意味とか意義があると想います。何故なら、試験結果がどうであろうとも、『ウチら(フィンランド)はベーシックインカムを(どうにかして)導入することを前提に考えてますよ』という意思が伝わってくるからです。悪いこともあるだろうけど、導入する方向性でいこう!と。それがないなら、こんな大がかりで大変な試験はやらないでしょう。

試験結果は、2年経たないと分かりません。とは言え、これこれこういう結果がでるだろうな~という予測も、すでにしているはずです。試験は、その予測値を確認するため、みたいな感じです。科学者の実験なんかも同じだと想うのですが、全くもって何が起こるか分からない、で実験してるケースってないんじゃないかと。あるのかなぁ!?(笑)

制度も『ツール』でしかないのでは?

例えば、会社で導入している制度等は

私の仕事は基本裏方です。ルール・制度的なものを整備して導入を進めるなんてことも、たまにですけどあったりします。ルール・制度を導入して管理していると、いっつも想うことがあります。
それは、
ルール・制度を逆手にとって、こちらの意図する形ではない嫌な感じで利用する人が必ずいる』
ということです。

もうこれは何ていうか、仕方なくないんだけど、致し方ないという感じです。ルール・制度である以上、その理屈に適っていれば○か×で言ったら○です。悪用というレベルであったとしてもです。そういう権利の行使はいかがなものかと想うんですけど、捉え方は人それぞれですから、必ずと言っていい程いろいろ出てきます。

ベーシックインカムという制度、他で気になることで当てはまるものと言えば、カジノ法案とかですか。あったらあったで、良いことも悪いことも、きっとたくさん起きる。制度と言っても、1つのツールかなと想います。それをどう使うかは人それぞれなところがあって、うまく使う人もいれば、そうでない人もいます。だから、それによる幸も不幸も、やはりそれぞれあるのだと想います。会社に当てはめるものと、国に当てはめるものを比較して考えるのは、無謀かもしれませんが。

その制度を試してみようと決めた根っこにあるもの

結局、何を導入してもしなくても、良いこともあれば、悪いこともあることは、何も変わらないわけです。ならば、何故それを採用するのか?という問いが、とても大事だと想います。それは『私(or この会社 or この国)は、これこれこういう方針で生きて(進んで)いきますよ』ということを指し示す、根っことか軸になるものが、その何故の中にあるからです。個人で言えば哲学に当たるかもしれないし、国で言うと文化に当たるかもしれません。何にしても1つのルールや制度を採用するのかしないのか、その判断基準になっている大切なものです。

どうしてもベーシックインカムという制度が良いものなのか、悪いものなのかに着目してしまいます。私もそうです。しかし、本当に大切なことは、ベーシックインカムという制度を試してみようと決めた向こう側に、フィンランドがどのように国民の幸福を考えているのかを、ちゃんと見せる、もしくは見せてることなのかなと想います。フィンランドベーシックインカム導入試験、良い結果が出るといいですね。

テレビの買い替えとminiB-CASカード

テレビを買い替えて、B-CASカードの入れ替えを

こんばんは、伺水(@moto8an_shisui)です。
最近、テレビを買い替えました。その時に出遭ったトラブルの話です。

先週くらいから、テレビが突然 プツッ という音とともに消えて、数十秒後に復活するという現象が起こるようになりました。最初は戻ってくるんだからいいか、と気にせずにいたのですが、だんだん消える回数が増えるじゃありませんか。∑(・∀・; )ゲッ!!

ということで、致し方ないからテレビを買い替えよう、ということになりました。テレビは基本映れば良いと考えているので、お店で売っている一番安いものを選びました(笑)

ZM-SL40TVR [40インチ]

ZM-SL40TVR [40インチ]

今まで使っていたテレビのB-CASカードを抜き取って、購入したテレビに差そうと想ったら・・・

あれ!?何か全然形が合ってないんですけど??
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

嫌~な予感を感じながら、説明書をパラパラと・・・(..)ウーン

あった!!

miniB-CASカード!??

何!?『mini』って??Σ(・∀・;)

miniB-CASカードとはなんぞや!?

miniB-CASカード、初めて知りました。パソコンは仕事で毎日触れているので、そこそこ理解しているのですが、家電には興味がまったくなくて、電子レンジもまともに使えないくらいです(笑)

話は戻ってminiB-CASカードですが、Wikipediaで説明がありました。もう8年も前からあったんですね。これまで使っていたテレビは、全てB-CASカードが使えるものだったので、本当に今日までまったく知らなかったです。うまく説明できる自信がないので、以下のWikipediaのページを見てみてください。

B-CAS - Wikipedia

正直これを読んでもピンと来ない部分は多いのですが、とりあえず、B-CASカードとminiB-CASカードの違いはそのサイズだけみたいです。それが証拠に、B-CASカードを切って大きさを整えることで、miniB-CASカードとして使えるみたいです。以下のサイトで、その辺りのことが書かれてます。Wikipediaの説明より、こっちの方がずっとよく分かります。

B-CASカードの端子の製造元による形状違い、miniB-CASでも同じ模様 | Jashi's ROOM - 楽天ブログ

サイズ(規格)が合わないなら

さすがにハサミで切り刻む勇気は出ませんでした(笑)合わないのがサイズだけなのであれば、アダプターとかないのかな!?と想って調べてみたら、やっぱりありました。ケーブルとか、様々なタイプのUSBとか、どれもアダプターはあるもんです。だから、きっとB-CASカードのアダプターもあるだろうと。あるもんですね。

私は↓を買ってみました。

PB-MB02:mini B-CAS 変換アダプター 《B-CAS to mini B-CAS Bタイプ》

PB-MB02:mini B-CAS 変換アダプター 《B-CAS to mini B-CAS Bタイプ》

B-CASカードをこのアダプターの大きい方に差し込んで、小さい方をテレビのminiB-CASカードの差込口へ差すだけです。差し込んだ形はこんな感じです。アダプターが宙ぶらりんになってしまうので、テープでテレビに固定してみました。想像の通り、だいぶ見た目は良くないです(笑)

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せっかくJ-COMと契約してるのに、BS、CSが観れなくなるのか!?と最初は青ざめましたが、ひとまず観れるようになって良かったですよ、本当に。。( ´ー`)フゥー...

「こだわり」と「優秀であることの証明」

技術者(プログラマー)の持つこだわり

「こだわり」について会話する機会がありましたので、
それについての思考整理です。

www.atmarkit.co.jp

上記の記事は、プログラマーのこだわりについての内容で、
あるプログラマーさんとの会話のタネになったものです。

語弊がないように、記事にあるようなこだわりを、
すべての技術者(主にプログラマー)が持っているわけではありません。
ただ、記事に書かれているようなこだわりを持っているプログラマーに、
私は多く出会った(見かけた)という実感はあって、
何にこだわるかはもちろん、プログラマーでも多様にあります。

書かれているコードが美しい(きれい)であるとか、
最新の高度な技術を使って組まれていることに、
こだわりを持つプログラマーは少なくありません。
ただ、システム利用者としての観点だと、
この価値はまったくと言っていいほどわからないんですよね。

私は幸いというか、元プログラマーですので、
プログラマー側の気持ちも、利用者側の気持ちもわかるつもりです。

システム利用者の観点

利用者が認識できる価値とは、目的が達成できるのかどうかのみです。
あとは、どれだけ便利であるかとか、楽にできるとか、
そういうことが付加価値として入ってくる程度です。

システムの動きを見ているだけでは、
きれいに質良く書かれているプログラムなのか否かはわかりません。
だから、それがきれいに書かれていようが、汚く書かれていようが、
利用者としてはどうでもいいことなんです。

《ちなみに…》
利用者というと、いわゆるお客さんなイメージがありますが、
仕事場を見てみると、つくられたシステムを使って作業をしている人がいますが、
この人らもシステム利用者です。

仕事のシステムをつくっている人と、そのシステムを使って仕事をしている人との、
「こだわり」によるいざこざって、結構見かけます(笑)

優秀であることの証明

「こだわり」はどの人にも、何かしらあると思いますが、
この記事に書かれているようなこだわりは、何故出てくるんでしょう!?
思考整理してみるきっかけになった疑問です。

そこで考えてみて出てきたことは、優秀であることの証明なのかな!?

仕事によってもらっている収入は、人によって違います。当たり前ですけど。
それは何の差かと言われれば、その仕事において優秀か否かです。
優秀な人はたくさんもらえるし、そうでない人は多くはもらえません。
仕事している以上、優秀であると評価されるようにがんばりますね。私もそうです。

この「こだわり」も、そのためにあるのかな!?と思いました。
例えば、営業の仕事であれば、今月??件取りましたー!
というとてもわかりやすい指標があります。

これと同じで、

  • きれいなプログラムが書けます(ので、能力が高いです)
  • 高度な技術を使って作れます(ので、能力が高いです)

このほかにも、

  • 早く作る(納品する)ことができます(ので、能力が高いです)

プログラマーなので、気持ちはよくわかります。
プログラマー同士を比較する話になると、その軸になるものはこれらの事項です。

私の場合は、コードをきれいに書きたいとか、高度な技術を使いたいとか、
そういう類のことは全く考えない方でした(笑)
まあ、動けばいいじゃない、と思っていたくらいなので、
同士の中では残念なグループに入っていたのかも(苦笑)

評価(されること)のコントロールは難しい

ただし、実際の能力を評価するのは、他のプログラマーさんではありません。
社長だったり、上司だったり、クライアントだったりします。
評価者がプログラムのことをよく知っている人であれば良いのですが、
まったくの無知であることも少なくありません。

結構切ないですけど、これらの優秀である証明材料は、
評価者に届いてないということは、
身の回りを見ても結構あるのではないかと思います。

最後に、それは理不尽なことなんだろうかと考えました。
成果主義であるとか、わかりやすい指標にして能力評価することは、
どこの会社でも行われていることだと思います。

私も小さな会社の経営に、多少なりとも関わっている人間ですので、
その観点で言うならば、能力評価ってむちゃくちゃ難しいです。
会社によって価値の観点が違うのは当然ですし、
小さな会社だと、同じ役割の人が2人いなかったりするので、
比較のしようがないというケースも少なくないと思います。

ただ、少なくとも、プログラマーにしても、デザイナーにしても、営業にしても、
現場の人たちだけで計る指標が、絶対に正しいとは思いません。
価値は、求められていることに対して、どれだけ適切な答えを出すかだと、
今の仕事、会社を通じて、今の私は考えてますかね。

なーんてことを考えた、とある日のランチタイムでした。
最後は「こだわり」ではなく、「(能力)評価」の話になってしまいました。
優秀であることの証明は、まったくしないのでは、
ご飯が食べていけるかに関わってくるので、
他人事ではない難し~いテーマですね。Σ(´∀`;)

少し先のことを考えみた(主に仕事について)

新年早々のできごと

あけましておめでとうございます。
1月4日は新年早々、子供から風邪をもらっての仕事始めとなり、
だいぶテンションダウンな感じでスタートしました。

私の仕事場は、あまり足並みが揃っていなくて(笑)、
まだ仕事始めではない人もいます。
今日はいつもと比べて大分人がいないので、
お昼ごはんをどうしようかな~と考えていたところ、
珍しい方(同僚)から誘いを受けてランチタイムを過ごしました。

で、そのランチタイム時にいろいろ会話をするわけですが、
突然、

伺水さん、先のことってどう考えてます??

と聞かれました。

えー!?何突然!?会社辞めたいの!?(((( ;゚Д゚))))ガクガクブルブル

いやー、驚きました。
新年早々、大まじめに言われたものですから。
更に、そういう会話をするイメージもない方だったので。(これは失礼w)

いろいろ整理の時期

年末年始は、いろいろと整理する時期なんだなと、しみじみ想いました。
私は昨年40歳を迎えたのですが、
年齢1桁が0の年は、区切りの年と考えていて、
向こう10年どういう方向性で行こうかなということを考えます。
(主にというか、ほぼ100%仕事のことです。)
と言っても、30歳の時に始めたことなので、まだ2回目ですが(笑)

その人との会話のために準備していたわけではないのですが、
たまたまその下準備がバッチリな状態だったので、
だいぶ話し込んでしまいました。

こういう会話は、することで自身も整理されることがあるので結構好きです。
やり過ぎると、特に若い人からは煙たがられそうだけど(苦笑)

10年前と比べて、だいぶ自分も周りも状況が変わっているので、
いろいろ考えるんですが、どよ~んと暗くなってしまうことも度々。
歳も歳ですし、状況も状況なので、なかなか楽観的には考えられません。

ただ、明るいものが見えるにしても、暗いものしか見えないにしても、
とにかく整理することは大事かなと想います。
何となくだと、結果もやっぱり何となくにしかならないので。

「目標」を立てることは、戦略を考えることに近いかな

手段の目的化、よく聞く言葉ですけど、
目的目的達成のための手段は、やっぱり混同しがちです。
ちゃんと意識してないと、気付かぬうちにごっちゃになってます。

この前置きにちなんでですが、目標とは「目的」なのか「手段」なのか、
よくわからないことがあります。
例えば、「10kg減量」が目的で、その手段が「毎日?km走る」だとします。
どっちも目標として立てられる気がしますね。

目標という言葉の定義を考えていたら浮かんでしまったことですが、
まあ、どちらでも良いんじゃないかなと、想えるようになりました。
何にもないより、向かいたい軸になるものがあった方が断然良い。
たとえ、目的なのか手段なのか、よく分からなくなっていたとしても。

最初は100の力の内、80を使わないとできなかったことが、
とにかく続けて習慣化されれば、50以下でできるように多分なります。
そうしたら、改めて整理する余力ができるはずです。

なんで毎日走ってるんだっけ?あ、10kg減量するためかー、みたいに。
もしかしたら、気付かぬ間に達成してしまっていたとなれば、
次の目標が出てくるようになるかもしれない。
そんなタイミングで「目的」と「手段」が整理できればいいじゃんって感じです。

ということで、なかなか頻繁に更新できてないこのブログですが、
「やめないで書き続けよう」は、今年の目標です(笑)

厳密に言うと、

  • 目的:食いっぱぐれないこと(家族を露頭に迷わせないこと)
  • 手段:仕事

です。

この手段(仕事)中にもいろいろありまして、
ブログを書くことは、その中の1つだったりします。
仕事の武器として使えるところまで昇華したい、という感じでしょうか。

なので、ブログを書き続けるというのは、
目的とか目標というより「戦略(の1つ)」なのかなと。
書き続けることで得られるのではないかと、
期待しているもの(書くスキルとかブログで発生する副収入等)が「目的」だったりします。

ぼくの場合、目的はあまりあれこれと変更されないので、
整理の時期に考えることはつまり、
目的達成のための手段(複数)=戦略
ということなのかな~と。
今年の目標を整理していたのですが、完全に横道にそれました(笑)

目標は一言「~~~~」でやっぱりOK!

考えていて、書いていて、やっぱり想いましたが、
目的とか戦略とか、どうでも良いですね(笑)
100記事書く!
最初に何となく決めた目標ですが、テーマ見つける&書くのみです!
変に燃え尽きないようにガンバリマス。

「おもてなし」について想うこと。

「お客様は神様」の考え方に反対!

ぼくは社会人として働くようになってから、
約20年が経っています。

表題にあるこの言葉は、
仕事をするようになった頃からすでにあって、
ずっと言われ続けた(聞き続けた)!?言葉です。

お客様は神様=日本の「おもてなし」について、
比較的最近読んだ記事ですが、すごく好きなものがあります。

beinspiredglobal.com

日本も昔から今に至っても、客に対しての差別・区別はあると想いますが、
この記事では、明確に分かりやすく、その別をつけた方が良いと言っています。
この考え方にすごく賛成です。

昔はマナーも常識も、今よりちゃんとあったのかな!?

20年前は、今と比べて、常識とマナーが確固としてあったため、
お客様は神様でサービスの提供を考えることが、
自然とマッチしていた!?のかもしません。

しかし、昨今では、自身が訪れる店等で見かける範囲だけでも、
サービスを受けるマナーがない人をよく見かけます。(見たくもないのに)
ぼくは、「お客様は神様」の考え方が、
こういうマナーのない客をつくった大きな原因の1つだと想ってます。

何故この考え方に反対かというと、
これってもう甘やかしてるだけですよね。
「お客様は神様だろ!」という言葉は、
これだけでそれを物語ってます。

そもそも「お客様は神様」という言葉は何故あるのか!?

これはサービス提供者側が、
そういう意識を持って事に当たるためであって、
実際に客が神様なわけではありません
というのが、ぼくの認識です(笑)

でも一度言葉として発せられてしまうと、
あらゆる場面で、この言葉はその威力を発揮してしまってます。
サービス提供者側の意識・姿勢のためだけの言葉であるはずなのに、
言葉の力はすごいなぁと想います。

神様には抗えない

神様って、人間の勝手な観点ですけど、
いわゆる良い神様悪い神様がいますよね。

これも何かで読んだことがあるのですが、
いずれの神様であったとしても、人間のすることは同じなんだとか。
平伏するとか、祈りを捧げるとか、そんな類です。
このアクションの選択肢の中に、抗うものは、
ぼくの見聞きした範囲の中にはありません。

だから、基本逆らえないですよね。
お客様=神様と定義付けられている以上、
やれることは、頭を下げることしかないです。

内容によっては、頭を下げたり謝ってはいけないと言いますけど、
ほとんどの人には無理で当然だと想います。
(ぼくは、相手の数と質によるかなぁ(笑))

言葉として素晴らしくても、ルールとしてはNGかなと

なので、言葉としては素晴らしいと想ってはいるのですが、
もはや常識レベルまで定義付けさせるものとしては反対なわけです。
ちなみにぼくは、「お客様は人様」だと想って仕事しています。
当たり前のことですが、ぼくと同じ人間だということです。